店名 Store name | 山﨑機業店 |
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運営統括責任者 Person in charge | 山﨑喜久夫 |
所在地 Address | 〒602-8447 京都府京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町306 |
電話番号 Telephone | 075-414-0634 |
FAX Facsimile | 075-414-0634 |
営業時間 Business hours | 09:00~18:00 |
定休日 Regular holiday | 土・日曜日 |
info@5586.jp | |
お問い合わせ Inquiry | こちらよりお問い合わせください。 |
京都の歴史には1000年以上の歴史があると言われています。
西陣という呼び名が使われるようになったのは、1467年応仁の乱でこの地に西の陣が置かれたことによります。この長い歴史の中で、表装用として専門の織物が西陣で織られるようになったのは、比較的最近のことで、明治初期頃と言われております。
西陣金襴®団体商標法に基づき、平成19年度地域団体商標として国から認定されました。表装裂地は、裂地金襴、法衣金襴と共に、西陣金襴®の一部門として大きな一角を占めております。尚、西陣金襴®とは、西陣金襴®織元が製織する織物全般を指します。
金襴や銀蘭や、いわゆる無金物も含めての総称であり、製品には西陣®の証紙を付けております。表装の目的は、本紙の装飾・保護・収納にあります。 これらの目的にふさわしい織物を織り続けてきた先人達の技術を引き継ぎ、また一方で近代化の要素も取り入れて、日々織物業に取り組んでおります。近年は安易な模造品も数多く織られていますが、皆様の大切な本紙と共に長く代々受け継がれていく裂地です。充分吟味して頂き、西陣金襴®表装裂地が表装製作時における選択肢の一つとして、お選び頂けることを心より願っております。
表装裂地とは表具に使う裂地のことをいいます。
掛け物、巻物、屏風などに使います。 床の間に掛けてある「掛け軸」はその代表的なものです。先人が書・絵・それを囲む裂地をコンパクトになおかつ美しく収納できる方法として考え出したものでしょう。 日本が世界に誇れるもののひとつだと思いますが、どうも高級な伝統のある特別なものとしてとらえがちです。 しかし短冊掛け、色紙掛けのようなもの、またそれらをアレンジした壁掛け風のようなものに季節の花の絵、ポスターの切り抜きなど入れ花を生けるような感覚で季節を楽しむ、大切な方からの絵手紙を色紙風に裏打ちして飾る、懐かしい写真を掛ける、また軸と同じ裂地で小屏風を作りトータルなイメージにするなど玄関やお部屋の小さなスペースでも自分が作りたい自分流の空間作りができます。ぜひ一度挑戦してはいかがでしょうか?
平安京が営まれていた時代、現在の大宮通り一条下がる東域(上長者黒門あたりとも考えられています)に、内蔵寮が所轄する織部の司と呼ばれる織りの官営工場がありました。鎌倉・応仁の乱までの室町時代を通して、そのあたりで織りの工人達が機を織っていました。
1467年から1477年まで応仁の乱が起こり、京の町は一面焦土と化します。千本釈迦堂のみ焼け残り今日国宝となっています。
織りの工人達は大阪泉南へ難を避け、そこで一層技を磨きました。
乱が終わり故郷西の本陣跡へ戻ればそこは一面の焼け野原、その陣の跡で機を織り出します。70年後の1547年、織りを生業とする31人によって大舎人座(織りの組合)が結成されます。1571年、大棚の井関、和久田、久松、小島、中西、階取の六家(当時、西陣の六人衆と呼ばれました)に、朝廷の内蔵寮から御寮織物司に任命され、御所への出入りが特別に許される特権を得た織りの指導部が構成されることとなります。そのうちの井関、和久田(今日の三上家)、久松の三家までが、この紋屋町に住まいを置きます。中でも井関七右衛門宗鱗の屋敷は、紋屋町東にあり今の通りをふさいでいました。ですから紋屋の図子と呼ばれていました。その後、江戸時代に屋敷を解体し大宮通りまで行き抜けにしました。
また、宗鱗は紋織りを考案し、織りの技術を飛躍的に発展させました。それらの功績を持って紋屋町と名づけられています。
この町には近代、大棚の織り元鳥居、高田、小川の各家々が軒を連ね、これらの家は、市内や府内に多くの出機を持っていました。西陣織の心臓部にあたる町内です。
江戸期の地図には、聖天の図子とも記されているものがありますが、広く紋屋町として名をとどめています。
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